新しいものを作る意味と新しさを求めるひと

グッドデザインとデザインの刷新性

純粋芸術というのと、大衆芸術、限界芸術という言い方をした人がいます。
鶴見俊輔によれば、落書きがこの限界芸術に入ります。
「プラスチックの逆襲」を読んで、キッチュについて書かれているところがあるのですけれども、むかしキッチュと言ってかわいいものをイメージしていたのですが、キッチュとは合理的では片付けられないものとひととの関係性の中で、禁欲的で機能的で崇高でブルジョアのための高級な価値観の逆にあるようなイメージだったかなと想い起されました。イラストの世界を想い起こすと、ヘタうまを世に知らしめた湯村輝彦の作品を思い出します。
落書きから出発したのはキースへリングやバスキアでしたが、そこにはアナーキーな活力とエネルギーがありました。

本物の素材とまがいもの

木や金属に対してプラスチックはニセモノというイメージがあったのが、現代ではプラスチックでこそ実現できる美しいデザインがあることを「プラスチックの逆襲」が語りながら、絹や革素材についても、触れていて、化学繊維と天然素材といった対比がなされています。
ナイロンとかポリエステルで、絹と見分けがつかないものもあり、正絹といったり、本革といったり天然をプッシュする表現があたりまえです。

キッチュが担った『遊び』

ただグッドデザインと呼ばれるものも、時代によって変わってきます。
機能をつき詰めていって、洗練され、無駄をそぎ落とし昇華された普遍的フォルムがグッドデザインですよとスタンダードがしみこんでしまうと、そうではない価値、基準を受け入れる余裕の幅が狭くなってきます。そうした合理性、哲学的なデザインからはみ出していった割り切れない遊びをキッチュが担ったのだと思えます。

キッチュとは、そぎ落としてミニマムになるのと真逆で、盛って飾って詰め込み過ぎ系でアメリカのキャデラックを寄せ集めてカスタムし、奇抜さを競うファニーカーとなりますが、そういう視点で見ると、日光東照宮もキッチュの概念にカテゴライズされてしまうでしょうか。

結婚式とキッチュ

テレビや映画による結婚式のイメージの刷り込み効果が絶大すぎて、結婚指輪の交換はすんなり指に入るものと思っている人がとても多いことから実感させられます。
ヨーロピアンゴシック調の大きなブライダルチャペルが原宿にもあり、毎週末結婚式が行われています。
日本のウェディングチャペルは、クリスチャンが通う教会とは別物の信徒不在の挙式する教会建築物のようなものです。
ブライダル業界によって形づくられていて、バージンロードなるものも、通路に白い布が敷かれ、臨時的インスタレーション的に造られています。
場をインスタレーションするためのアイコンは、教会オリジナル感で工夫された十字架が鎮座しまたは安藤建築のように、十字架の窓から光が射し込み、燭台、祭壇、バージンロード、窓からの光を計算されたステンドグラス。それからカラーコーディネートされたフラワーアレンジメント。
ブライダルサービスとキッチュ

価値観はどう刷新されるのでしょう。
名曲はいつの世までも名曲だし、世の中には音楽もあふれるけれど、音の組合せは無限なのか、新しいいい曲を産み出す創作活動を支えるのはなんなのだろう。そしてなおひとに受け入れられる曲を書くという作曲家のモチベーションってどこからくるのだろう。なぜ新しいものを次々に求められるのか。いつもの同じ曲じゃだめなのか?飽きたら次の曲を聴きたいということ?服を脱ぎ捨て新しい自分になりたいというファッションのサイクルとは似て非なるもの?

結婚っ指輪も。